郡上八幡と木のおもちゃの歴史


自然いっぱい郡上八幡清流吉田川
岐阜県郡上八幡 清流吉田川

郡上八幡は四方を山々に囲まれ、清流長良川の支流、吉田川が流れています。

 

 郡上八幡には木工製品を作る工場が多くあります。

 

明治時代より昔、ろくろを用いて椀や盆等の木工品を加工、製造する職人、「木地師」がいました。木地師は、使う木材がなくなると、良材のある土地へ移動したそうです。白山山麓、大日山麓が近い郡上八幡は、良質な広葉樹に恵まれていました。製材所が多くあり、木材が豊富にありました。大きな木は家具の製造に、小さな木が小木工製品に使われました。郡上を拠点とした木地師によって、小木工製品の技術が発展しました。

 

戦後、高度経済成長とともに子供用に玩具製造へと移り変わりました。

 

 創業者 野首正一は戦後、山を歩き回り、立木の売買をしたりすることを職としていました。薪炭業という、山から木材を切り出して当時の燃料源となる薪、炭を作っていました。その後、「木管(紡績業で使われる糸巻)」の製造技術をみにつけました。それが発展し、彫刻刀の柄、木版板、まな板などの製造をするようになりました。昭和35年、木製玩具の製造をはじめました。当時の商品は焼印に手塗で色を付けたものが主流でした。郡上八幡はシルク印刷発祥の地であったので、印刷技術と木製品の合流により「もじつみき」が大きく進化しました。

 

 郡上八幡は木工所がそれぞれの得意分野をもち、協力しながら木製玩具、木製雑貨を作り続けています。

 


レトロ焼印もじつみき国産木製知育玩具
昭和30年代焼印とスクリーン印刷のもじつみき(もじあそび)
昭和時代輸出されていた日本製パズル
昭和40年代海外で販売されたパズル


知育玩具木のおもちゃメーカー商社仕入